2011年9月25日 のLeonard Sax の記事

                                 翻訳 (訳;おおたとしまさ・羽生彩子)

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 科学誌サイエンスで男女別学を激しく非難する記事がありました。しかし、次から次へと論点のずれたものだったのです。 

 

今年9月23日金曜日に、権威ある雑誌、サイエンスが8名の教授により書かれた記事を出版しました。タイトルは「男女別学の偽りの科学」。記事はひろく賞賛され、メディアでとりあげられました。ニューヨークタイムズ誌でとりあげられた記事へのリンク:www.nytimes.com/2011/09/23/education/23single.html.  ワシントンポスト誌でとりあげられた記事へのリンク:http://wapo.st/pYOYNo.

はこちらです。

 

この記事には、大きなそして基本的な誤りがありました。そして、非常におかしなはなしがここにあります。とゆうのは、わたしは9月5日月曜日にサイエンスの編集者に手紙を書き、ゲラ刷りに大きな誤りがあると知らせました。(このゲラ刷りは匿名の情報源を通じて私の手に入りました。)この記事の中でも、特に男女別学の法則の位置づけの議論における誤りを私は強調したのですが、私が指摘した誤りは記事の最後に組み込まれていたものの、8月29日のゲラ刷りとは全く異なるものであり、特に法則の問題の取り扱いについては異なる記事となっていました。詳しくは私個人のウェブエージをご覧ください。Www.singlesexschools.org/conference.html. 

 

このいきさつとは別に予期せぬことがありました。9月23日金曜日の朝に私はサイエンスのこの問題の記事を書いた8名の教授にe-mailを送り、来る10月8日と9日にオーランドで開かれる男女別学フォーラムに招待しました。すると、1名の教授 オースティンにあるテキサス大学のレベッカ教授から、彼はまた男女別学のアメリカ評議会理事長でもありますが、男女別学フォーラムに参加するとの意向を示されました。さらには、フォーラムで発言したいとの申し出もあったのです。当然発表論文の提出期限は3ヶ月前の630日に過ぎてはいましたが、ちょうど発表者が1名病気により発表の時間に空いた枠があったので、私はNASSPE諮問委員会へとレベッカ教授が参加したい旨を伝え、諮問委員会が参加を承認するか否かの返事を待っています。現在、諮問委員のあいだで活発な議論がなされ、レベッカ教授に是非ともフォーラムに参加し発言してほしいとする委員と、そうではない委員とがいるようです。もしレベッカ教授が発表者としてフォーラムに加われば、彼女の名前がwww.singlesexschools.org/conference.html.でご覧になれます。フォーラムのプログラムはすでに記載されています。

 

男女別学フォーラムが終わり、109日が過ぎたころ、私は一連の、少なくとも5つ以上、私個人のウェブページに意見を掲載するつもりでおります。ウェブアドレスはwww.leonardsax.con/Science.html です。

・サイエンス記事の聴覚における男女の違いに関する誤り

・サイエンス記事の視覚における男女の違いに関する誤り

・サイエンス記事の脳の発達における男女の違いに関する誤り

・サイエンス記事の男女別クラスを提供することへの意欲の実態に関する誤り

・サイエンス記事のアメリカの公立学校での男女別学の法則の位置づけに関する誤り

 


現時点では、他のどのフォーラムでもサイエンス記事を反論するものは見られません。今月既に私はサイエンス誌編集主任のブラッドワイブル氏(
bwible@aaa.org)に宛てて、詳しく細かい部分について記事に反論をしてもよいか考慮してくれるようお願いしましたが、返答はノーでした。ですから、私は最善を尽くします。

多くの皆さんは男女別学についてなど興味をお持ちではないでしょうが、そんなことは一向に気にしません。興味をもたれないことこそが、サイエンス誌の人気がなくなった一番の理由なのですから。8名の教授は怒りに触れて、私を男女別学を推奨する狂気じみた人間だと述べていますが、私は狂気じみてなどいません。私は、教師が、我々が性差別的社会に生きていることを理解することが大切だと、非常に強く感じているのです。我々が暮らす社会とは、12歳の少女が詩を書き、日記をつけることは許されても、(昨今)詩を書くことは12歳の少年にとっては、非常に格好悪いことだと思われている社会です。ですから、12歳の少年が詩を書くにあたって必要なことと、12歳の少女が必要なことは異なるのです。ですから、こういった教育における動機付けの戦略は、男女共学よりも、男子のみのクラスで施すほうが容易な場合があります。けれども、その目的は個々の子供の潜在能力を発揮する手助けとなるものであって、男女別学の学校の数を増やすことではありません。

ジャーナリストは(もっともではありますが)、サイエンスに掲載される学者論文は事実に基づいていると思っています。しかしながら、今回の記事はそうではありません。ですから、私はこのメールの残りすべてを、いかに記事が間違っていたかを訴えることに費やします。興味のない方は、すぐこのメールを閉じてしまって下さい。私は気にはしませんから。

 

今週発行のサイエンスの2ページに渡る記事の、2ページ目の部分、1707ページで、著者が事実聴覚において男女には差があるとゆう、私の考察に言及していますが、著者は科学者たるものは、そのような主張は偽りの科学であると証明するとしています。彼らの主張を裏付けるべく2つの参照を引用しています。1つは参照17−リーゼエリオット氏の記事ですが、この記事は完全にマークリバーマン教授の聴覚における男女に違いに関するブログそのままの文章です。2つ目は参照21マークリバーマン教授のブログです。そしてすぐに分かることですが、リバーマン教授のこの問題に関するブログは正直言って、間違いがあり、正確ではありません。

では、ここで同じような論文について考えてみましょう。ウェブwww.wygendermatters.comの冒頭で私は私の初の著書である「何故性別が問題なのか」での誤りを認め、読者の皆さんを、私の聴覚における男女の違いについての論文をご案内します。「教育における男女の違い」無料でオンラインにて全編ご覧頂けます。www.mcrcad.org/2010-Sax-hearing.pdf. この論文の中で関連変数が認識できる音の大きさであると説明しています。スティーブンスの法則は発信音Lの主観的大きさと発信音φ(ファイ)の物理的な大きさを関連づけています。kのスケーリングは一定で、スティーブンスの法則のn1以下です。係数nは個々に変わり、実験的に決定されねばなりません。スティーブンスの法則の係数nはいかに人が音に敏感かの基準です。ですからこれを人の聴力という値と混同してはなりません。(この混同こそが、まさに「なぜ性別が問題なのか」で私が犯した最大の誤りです。)


サジ
Dアレッサンドロ教授とノーウィッチ教授(2007)は異なる強さでの発信音で主観的な認識の変化を測定しました。これによって、係数nを引き出すことが可能となりました。あらゆる音の頻度や強弱で測定するなかで、平均して女子は係数0.3053±0.0561を獲得し、男子は係数0.2218±0.0443を獲得しました。この違いは大きいものです。(p0.009)。

サジDアレッサンドロ教授とノーウィッチ教授(2009)は、物体の音に対する相対的適合を計測することにより係数nの見積もり値を獲得しました。実験で、50デシベルの発信音で女子の係数は0.37±0.08、男子の係数は0.23±0.05を獲得しました。60デシベルの発信音では女子の係数は0.26±0.08、男子の係数は0.08±0.03を獲得しました。


サジ
Dアレッサンドロ教授とノーウィcッチ教授は(2007,69ページ)で次のようにコメントしています。男子と比較して女子が高い係数であるこは、女子が男子よりも体に受ける発信音に対してより敏感であることを示している。サジ及び、その他の教授あg82007,68ページ)に以前の巻くギネス教授(1974)の実験がこの主張を裏付けています。マクギネス教授は大きな発信音に対する男女の敏感さを計測しました。様々な頻度で、250ヘルツから8キロヘルツの範囲で計測したところ、教授は女性が心地よいと感じるレベルの平均は、男子が心地よいと感じるレベルよりも一貫して8デシベル低いと分かりました。コリンエリオット教授(1971)は先と同様の発見を、2グループの子どもたち、5歳児と11歳児のグループの実験において報告していました。それは、音量を女子に対してより男子に対しては、約8から9デシベルあげねばなりませんでした。サイエンス誌に掲載された記事ではハルパーン他教授らはこのコリンエリオット教授の研究について何ら触れていませんでした。この研究こそが、5歳児と11歳児の少年は8から9デシベル音量をあげる必要があり、それは音が同年齢の女児に対してより男児には、よりはっきりと音が聞こえるようにするためだとゆうことを見つけたのです。

 


ハルパーン教授はコリンエリオット教授の研究はとりあげす、サイエンス誌の記事でエリオット博士の本である「ピンク脳 ブルー脳」を引用し、また科学者からの情報源として
CNNでリバーマン博士を引用していますが、彼は私のしたことを偽りの科学と揶揄した人物です。エリオット教授は、リバーマン博士を引用しています。リバーマン教授は聴覚での認識において、男女に大した差はないと主張し、むしろ主観的な調査に重きを置いていて、この調査では大きな音が耳触りか否かを質問しています。心理的な調査で(これは、音に対する敏感さを客観的な方法で計測するものです。もっとも客観的な質問表とは言い難いのですが)サジDアレッサンドロとノーウィッチ(2007),Dアレッサンドロとノーウィッチ(2009),マクギネス(1974)とコリンエリオット(1971)教授らは、一貫して、平均して女性は男性の平均よりもより音に対して敏感であると気づいており、その男女差は約8デシベルです。しかしながらリバーマン教授がこれ以外の他の研究を好み、そこでは実験者が被験者に単に彼らが音に対して敏感かどうかを問うだけでした。例えば、ヴァインスタイン(1978)は質問表を作成しましたが、音への敏感さについて保証する、何ら有効なものではありませんでした。ヴァイインスタイン教授は被験者に次のような質問をして、彼らがそうだと合意すると、音に対して敏感な者として区分していました。質問は次にあげるようなものです。

 

1.住むアパートが立派なところであれば、騒がしい通りに暮らしても気にしません。

3.たまになら、ステレオのボリュームを最大にして聞いても気にしません。

15,図書館で、静かに会話をするなら気にしません。

 

これらの質問では、逆に被験者は騒音に敏感かどうかを判断されているのです。とゆうのも、被験者が「私は、自分が寝ようとしているときや、仕事を済ませようとしているときに騒音を立てる人に腹がたちます。」(#19)だとか、「隣人がうるさいと、私は悩まされます」(#7)とゆうような問いに合意しているからです。ヴァインスタイン教授は男女における社会の構造が、被験者の質問表に対する回答にいかに影響を及ぼしているかとゆうことに気づいていません。1970年代、つまりヴァインスタイン教授がこの質問表を作ったころ、若い女性は、明らかに男性よりも、「〜するような人に私は怒ります。」といった言葉に、はい怒りますと合意などしませんでした。1970年代は、若い女性が人に怒るといった特徴は好ましいことではなかったのです、同様に、他の質問についても同じことが言えます。1970年代の女性は「もし〜であれば気にしません。}といったことばには男性より同調する傾向にあったのです。譲歩する、気にしない、他の人のやりたい様にさせるといったことは、男性に支配された社会では、これは1970年代のアメリカの文化もこれにあてはまりますが、十分に立証された伝統的な女性らしさの特性だったのです。ですから、ヴァインスタイン教授の研究で、女性が音に対して敏感だと気づかなかったのも不思議ではありません。


リバーマン教授はドイツの研究者ジマーとエラーメイアー
2998とエラーメイアー、アイゲンシュテッターとジマー2001が作成した質問表を高く評価しています。一方で、これらドイツの研究者は先に述べた、ヴァインスタイン教授1978の質問表を支持しています。エラーメイアー、アイゲンシュテッターとジマー教授(2001)61名の学部生に対して音への敏感さについて調査する質問表を作成しました。彼らは驚愕しました。とゆうのも、音に対して敏感な被験者の多くが女性だったからです。一方で、音にたいして敏感でなかったのが男性でした。彼らは、音に対する敏感さの男女の相違は代表例ではないと主張しています。彼らの主張を裏付けるべく、彼らの行った昔の実験や、他の研究者による以前行われた3つの研究をあげています。これらいづれの研究も音に対する男女の敏感さの相違について分かっていません。これらの研究の1つにヴァインスタイン教授(1978)のものがあり、この研究の欠陥については、既に述べた通りです。エラーメイアーと同期によって引用された2つ目の研究はモレイラとブライアン(1972)のものです。モレイラとブライアンが音に対する敏感さの男女の相違が見つけられなかったのは本当のことですが、エラーメイアーと彼の研究者仲間がモレイラとブライアンがたった5人の女性被験者しか研究するさいいなかったことを書き留めるのを忘れていました。モレイアとブライアン自身が34名の被験者のうち、僅か5名しか女性がいなかったことは、相関関係を示すには人数が少なすぎるとゆうことを認めています。(p.455)

エラーメイアーらに引用された、3つ目の研究はテイラー教授のものです。(1984) 航空機による騒音の疾病モデルと題された研究論文です。けれども、このテイラー教授の論文は独自の実験に基づいたものでは全くありません。とゆうよりは、むしろ20年以上前に出版されたデータの再分析で、1963年に遡り、頭上を飛行する航空機の騒音に悩まされるロンドンの人々についてのデータです。テイラー教授の分析は音に対する敏感さは、被験者の性別には関係しないとゆう仮定の上で成り立っています。テイラー教授は音に対する敏感さは航空機の騒音に悩まされるかどうかの予測因子であると分かりました。これが正しいことは疑う余地もありませんが、しかしながら、テイラー教授は統計モデルからこの変数を排除してしまいました。そして、被験者の性別はデータにおけるいかに重要な変化があっても、これを説明するものにはならないとしました。テイラー教授の分析は音への敏感さは女性によって違ってくると終始一貫したのです。どの例に対しても、テイラー教授は十分な情報を読者に提供しなかったので、アメリカから1970年代に提供されたもっと最新のデータから、テイラー教授がロンドンの1963年のデータをいかに分析したかを再度構築することは出来ませんでした。

ですから、エラーメイアーらに引用された3つの研究文が支持する、音に対する敏感さにおける男女の相違はないとの主張は非常に裏づけの弱いものなのです。エラーメイアーらは質問表を作った彼ら自身の実験を引用しています。これはドイツ語の質問表で(ジまーとエラーメイアー、1998)、ヴァインスタイン(1978)の提供した英語版と忠実に同じです。例を挙げると、英語の質問表で「仕事をしようとしているところで騒音があったら、怒ります」は、ドイツ語でも全く同じ内容です。被験者は、この質問にはいと答えれば、騒音に敏感だとされます。


けれども、皆さんもお分かりのように、内政的な質問は男女における社会構造に影響されます。例えば、女性は他人が音をたてた際に、怒るだとか、態度を硬化させるといったことを認めたがりません。ゆえに音に対して敏感かどうか、事実を隠したり、分からなくさせてしまうのです。まt、女性は平均的に男性よりも、「何かかあこったとき、自分は怒る」とゆう文言には同意しにくい傾向にあると言えます。ジマーとエラーメイアー教授
(1998)はヴァインスタイン教授同様に、いかに彼らの質問表が男女の社会構造と、音に対して敏感で怒ると答える性別を混同して考えてしまっているのです。

リバーマン教授が支持した研究論文があります。そして、彼はサイエンス誌の記事のなかで、聴覚システムにおいて男女に相違があるかもしれないとした私のことを偽科学と証した2名のうちの1名です。もう1名の科学者はリーゼエリオット氏で、彼はたまたまこの記事の著者となったひとりです。けれど、この記事は、かのサイエンス誌に掲載され、ニューヨークタイムズ誌、ワシントンポスト誌ほか多数で権威ある科学として紹介されました。しかしながら、なぜ我々がDアレッサンドロとノーウィッチ(2009)によって実験された客観的な心理学の測定によるものよりも、信用の出来ない質問表に基づいたリバーマンの意見を受け入れることになるのかについては何も説明がなされていません。


もし、ここまで拝読下さったなら、賞賛に値します。

オーランドでお会いしましょう。


  Leonard Sax

 

 


                                                         中井俊已
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